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今日は久々にお台場に行ってきました。
写真はお台場に立つ自由の女神像で、本文内容とは特に関係ありません。

この間、既婚者の知人女性に結婚式をどこで挙げたのかを尋ねると、式は挙げず、ウェディング姿の写真だけを記念に撮ったとのことでした。
彼女は結婚式を挙げるのが嫌で、なぜそんなことをするのか理由が分からないと言います。

彼女に限らず、僕がブライダル業界にも携わっている話をすると、結婚式・結婚披露宴にお金を使うなんて、勿体無くて馬鹿みたい…という反応をする人も稀にいます。

結婚式・結婚披露宴を行うにあたっては、莫大な費用がかかりますし、その準備には大変な労力を要します。
そのお金と時間を別のことに費やせば、より幸せな道を歩むことが出来るかもしれません。
それも一つの歩み方であり、結婚して式・披露宴を行うか否か、どちらの方が良いかは人それぞれでしょう。
そもそも、結婚を行うかどうか自体、どちらが正しいわけでもなく、人それぞれです。

結婚式が、二人で新しい人生を歩み出し、どんなことがあっても離れまいと誓いを立てる儀式であり、けじめであるとすれば、結婚披露宴とは何なのか?

僕自身が結婚をしているわけではないので、披露宴を経験された沢山の人達からの受け売りを投合したものでありますが、

“結婚披露宴とは、これまでの人生で自分を支えて下さった人達と、これから新しい人生を歩み出す自分達二人の力になってくれる人達が一同に会し、かけがえのない人達へのおもてなしを精一杯行うことで、その絆を確かめ合う場である。”

と考えています。
披露宴を行うことによって、自分達がいかに沢山の人達に支えられながら生きていることを心に刻みつけるか否かで、それから先の人生の歩み方は大きく変わることでしょう。

素敵な披露宴を行うためには、それなりの困難が伴います。
20年くらい前の結婚披露宴では、ケーキ入刀のことを「初めての共同作業」なんて言ったりもしましたが、結婚披露宴を行うにあたって乗り越える困難、試練そのものこそが、二人で初めて乗り越える共同作業であります。

そんな結婚披露宴の善し悪しを決めるのが司会者とすら言われているほどですから、その人達の人生にとって重要な役割を果たすブライダル司会の仕事は、海外公演よりもプレッシャーがかかります。
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年明け最初の日舞稽古です。
いつもは月曜日か土曜日に行われる稽古ですが、今日はイレギュラーに、木曜日に行われました。

昨年の最終稽古で「手習子」がどうにか最後まで進み、今日の稽古でもそこまで進むかと思いましたが、その手前で止まりました。

そこまでの振りで、完全に左右逆に憶えていた箇所がありました。

また、前回が年内最終だったために、久々に稽古の様子をビデオに撮ったのですが、その様子が、自分が想像していた客観的な姿に比べると、それなりに形になっていて安心したものですが、一部、意外と綺麗な形になっていたものの、師の要求している形とは趣を異とする部分もあり、その訂正にも時間がかかりました。
やはり、安心ほど恐ろしい敵はありません。

もう上がりに近づいていた「手習子」でしたが、結局また一歩戻りました。
しかし、戻った道をまた進むことで、その道は踏み固められていきます。

慌てて目的地を目指すより、我慢強く、辛抱強く、忍耐強く道を踏み固めていくことの方が、必要かもしれません。
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今日(日付が変わり、正確には昨日ですが…)から仕事始めで、日常生活が戻りました。

いつもの様に朝7時ちょい過ぎからダラダラ起き出して、8時ちょっと前に家を出て出勤。
そして19時まで仕事。

今日は、あると思っていた殺陣WSが年始でなかったため、特に稽古などもなく、そのまま家に直行しました。
帰ったらとりあえず木刀を振る。

実にありふれた一日です。

そんな今日ですが、昨日借りてきた「余命1ヶ月の花嫁」のDVDを観ました。
実話をもとにしたこの作品にボロボロ涙を流しました。

自分に今こうした、ありふれた日常があることに感謝。

そして、長島千恵さんの死後にも、今なお、彼女の生前の想いを受け継いだ活動が存在することに、人一人の持つ命の重みと、そこから広がる可能性の大きさへの畏怖を感じました。

劇中、遺影の写真が花嫁姿だった映像が目に入った瞬間、自分の中で何か余計なものが一つ壊れた様な気持ちになりました。
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今朝は、
「おいちゃん、おいてぇー」
という2歳になったばかりの甥のたどたどしい言葉に促されて起床。

昼頃には東京への帰路につくこととなりました。
東京着は14時頃で、もし歌舞伎座があれば、迷わず一幕見席まで直行して正月歌舞伎を鑑賞するところであるものの、いかんせん、歌舞伎座は改装工事中。
その変わりでもないですが、靖国神社に初詣に行くことにしました。

神社に着くと、そこには人、人、人…とにかく人だらけです。
通い慣れた靖国神社の境内ですが、こんなに人が集まっているのを見るのは初めてでした。
南門から入って、まずは参拝しようと本殿に向かおうとすると、衛士さんに呼び止められ、本殿とは反対方向にまで長く続いている、列の最後尾へと向かうよう言われました。
参拝を待っている間に遊就館(靖国神社境内の戦争資料博物館)の閉館時間が迫ってきそうだったので、参拝の前に遊就館へ向かうことにしました。

途中の能楽堂では神楽が行われており、昨年の靖国公演時、我々の屋内の稽古希望日が、神社側の神楽の稽古とバッティングした日があったことを思い出します。

遊就館を訪れるのは、かれこれ10回目くらいでしょうか。
M企画公演で「特攻隊」をテーマにした作品に出演する際、出演者全員で訪れたのが最初です。
そのときには、生き残った特攻隊員の証言VTRや、人間魚雷回天の実物模型などに強く衝撃を受けました。

遊就館の資料は実に膨大で、何度通ってま、なかなか見尽くせるものではありません。
今回も、真珠湾攻撃あたりまでは割とじっくり見られたのですが、そこで閉館時間を告げるアナウンスが流れ、後半は、ほとんど流し見になりました。

遊就館で時折見かける光景として、実際に戦争に参加されたご老人が来館していて、訪れている一般の人に、当時の様子を熱弁しているというものがあります。

今日も、80歳代くらいの老夫婦が、40歳代くらいの夫婦に当時の出来事を語っており、若い夫婦も熱心に聞いていました。

僕も耳をそば立ててその話を聞いていましたが、ご老人の戦友の一人が、空撃に出たものの消息不明となり、30日間帰って来なかったため、「戦死」ということにされたそうです。
ところが、それからしばらくしてひょっこり帰って来て、今まで何をしていたのか尋ねたら、空撃に失敗したものの、帰るに帰れず、結局、30日以上かけて、台湾だかどこだかを1周して帰ってきという様な話です。
仲間達みんなで「随分呑気なものだなあ」と冷やかし、そういう奴がいるから、迂闊に死んだことにも出来ないと、明るく語っていました。

印象的だったのは、その老人に悲壮感がなく、むしろ楽しそうですらあったことです。

小学校時代の教育で、戦争=辛いもの、悲しいもの、それを経験した人達はひたすら可哀想だったという観念がインプットされ、中学校時代の社会科教師から、戦時中、実は日本の方がアジア諸国にとんでもなく酷いことをしていた悪い国だった…という風に教わり、戦争に対しては、触れるのもおぞましい様なマイナスイメージが植え付けられてきました。

だから、当時を生きた人達は、そのときのことを思い出したくもないし、語りたくもないのが当然ではないか…という思い込みが以前はありましたが、今目の前の老人は、生き生きとして、当時のことを思い返していました。

その姿を見て思うのは、苦難にみちた時代であっても、悠然とした心を持って、逞しく生きてきた人がいたんだろうな…ということで、演劇や映画を通じて、戦争時のことを伝えるべきことがあるならば、“戦争は悲惨だった。当時を生きた人は可哀想だった。”ということよりも、むしろそういうことではないかと思わされます。

僕は、絶対に戦争は嫌です。
殺し合いなんかしなくたって、お互いが譲歩しあえば、絶対に解決の術は見出せると思います。
(どうにも譲歩が出来ないから戦争になるんでしょうけど…)

もし、今戦争に行けと言われたら、どうにかして逃れる術を探すかと思います。
自分の命を危険な状態に晒すなんて、冗談ではなく、この平和な時代に生きていることを幸せに思います。

相手が武力によって攻めてきたのであれば、それを武力で返すのではなく、むしろ、非暴力・非服従の精神をもって、どんな状況下に置かれようとも、決して己の尊厳を失うことなく、ひたすら耐えに耐え偲ぶのを貫き続けることも、強さではないかと思い、むしろそういう強さに憧れます。

しかし、遊就館に展示された客観的な資料の数々を見ていると、もしも、自分がその時代の日本に生まれていたら、どんな風に生きただろうか、分からなくなってきます。

別に日本の戦争行為が正当であったかどうかといったことを論じたいとは思いません。
赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったことが最善の策だったかも論じたいとは思いません。
ただ、歴史上の事実としてそれがあったこと、その歴史下にいた人達の心は、様々な形で語り継ぐべきことと思います。

遊就館を出た頃には、参拝の大行列もある程度収まっており、無事に参拝を済ませ、帰路につきました。
明日からまた日常が始まります。
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新年明けましておめでとうございます。
2012年1月1日、お正月らしいことを何もせず、高崎の実家に籠って、ひたすら調べ物と原稿作りをしています。
一年の計は元旦にありと言いますから、この元旦の日を勤勉に過ごすというのも悪くないかもしれません。

このお正月で仕事が休みで時間のあるうちに、形をつくっておきたいことがあり、お正月休みを返上して、作業に没頭しています。
それでも一日中家にいたわけではなく、休憩がてら、折角ペーパードライバー講習を受けたことを無駄にしないために、自動車の運転の練習に行ったりもしました。

夕方からは、妹夫婦と姪と甥がやってきました。
姪はもうすぐ5歳、甥は2歳になったばかりです。
甥の方は、まだ物事の分別がつかず、危なくて目を離すことも出来ませんが、姪はすっかりお姉さんになり、自己主張も強くなりました。

デスクワークに没頭した日でありながらも、久々に姪と甥に会えただけでも、楽しい日でした。
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年の瀬って毎年こんなに寒かったっけ…?
と思うくらいに空気が冷たい阿佐ヶ谷の夜です。
これから実家の高崎に向かいます。

21時過ぎくらいの阿佐ヶ谷は、いつもなら帰宅者で賑わっておりますが、今日は人が少なく、営業していないお店も多く、随分と寂しい雰囲気でした。
肌に染み入る冷たい空気が寂しさを増幅させます。

この光景から記憶が蘇ってくるのは、3年前に挑んだ一人芝居「審判」です。
正月明けて1/4くらいから本番の公演で、年末年始には、家に隠って地獄の様に大量の台詞を覚え、疲れたら、食事がてらに阿佐ヶ谷駅周辺をぶらぶら歩きみした。

今年の正月は、阿佐ヶ谷にはおらず、実家で調べ物に没頭することになりそうです。

来年、また戦争ものの芝居に出ることになりました。
前述の「審判」も背景に戦争があるわけですから、戦争ものに出るのは4本目となります。

勘違いされやすいのですが、戦争ものの芝居に出るのは、別に「戦争反対!」と反戦の声を上げることが目的でもなければ、国際的背景から戦争行為が正当か否かを論じるのが目的でもありません。
戦争という時代背景を逞しく生きた人々の姿を伝えていくことが目的です。
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久々に宣材写真を撮ってきました。
前回紋付き袴で写真を撮ったのも、2年前の丁度年末時期でした。

今まで宣材写真は敢えて着物にこだわってきました。
実際、昨年と一昨年に立った舞台で着物を着なかったのは1回だけで、その1回においても、着物帯を使った和テイストな衣装です。
自分のアイデンティティーとして、それが着物とは関係のないところへも、着物の写真を提出してきました。

そんなわけで、ブライダルMCとして登録しているホームページでも、
↓↓↓
<a href="http://wedding-iimc.net/" target="_blank">http://wedding-iimc.net/</a>
敢えて着物写真を載せてきました。
そのことで、着物関係のイベントの話が舞い込んできたこともあり、そういうのを狙っている意味合いもあります。

しかし、同様にそのホームページで掲載している画像ではスーツ姿で、しかも両者間で髪型も全然違っており、どちらが実際の酒井のイメージに近いのか分かりにくいとクレームがありました。

ということで、司会者仕様の写真を撮ってきました。
来年は、ブライダルMCにも力を入れていくつもりです。
身近で司会者を探されている方がいらっしゃいましたら、是非上記のホームページをご覧下さい。
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今日は日舞の稽古場の大掃除でした。

通常の稽古日通りに稽古が行われ、稽古が終わった人から順々に、事務所やら着替え場やら、稽古スペース以外の場所を掃除し始め、21時過ぎに全員の稽古が終わったと同時に、稽古スペースを一斉掃除。
終わった後に皆でお菓子を食べるというのが毎年恒例の行事です。

例年だと、最後の人の稽古が終わった段階で残っているのが6〜7人くらいなのに、今年は11人もいたので、あっという間に終わりました。
一番最後に稽古した人が着替えて戻ってきたころにはほとんど終わっていたほど…
まあ、20畳あまりの部屋を10人がかりですから、当然と言えば当然です。

終了後、ブランデーケーキやら苺やらクロワッサンやらをつまみながら、皆で和やかな時間を過ごしましたが、お稽古場のメンバーがこれだけ一同に会する機会はなかなかないので、嬉しいものです。

11人全員が1人の例外もなく役者ということもあり、本当に劇団の集まりの様な雰囲気です。

お稽古は、今日でようやく「手習子」が最後まで進みました。
年明けの1月中には仕上げたい…
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今月はかなり無茶なスケジュールで過ごしてきたためか、ここ数日の間、家に帰っても身体の疲れが全く取れず、今日に至って、右肩と左肩の高さが異なるほどあからさまに身体が歪んだ状態でした。

月曜日からハードな仕事が始まるというのにこの状態はまずいと思い、今日はもともと踊りのWSに行く予定だったのを断念し、鍼灸治療に行きました。

やはり、身体の状態がよくないときに無理に負荷をかけるのはかえって逆効果であり、この場合、身体を万全な状態に戻すことが優先。

治療が始まると、案の定、極度に腰が歪んでいることを指摘されました。
2ヶ月以上ぶりの鍼灸だったためか、鍼の刺さるときの、身体に鉛を埋め込まれる様な痛みはともかく、灸が燃え尽きるときの熱さにはうめき声をあげて、悶え苦しみました。
燃え尽きるまであと少しと思っていたら、
「あと20秒くらいだから我慢して。」
と耳に入り、あと20秒もこの状態が続くのかと、気の遠くなる思いでした。

地獄のようなうつ伏せ状態の治療が終り、続いての仰向け状態の治療は比較的平和に進みました。
実は鍼灸治療で僕が一番苦手なのは、柔らかい腹部に刺さった細長い鍼がゆらゆら揺れるときのチクチクした感覚なのですが、今日は腹部は状態が良かったらしく、あまり刺しませんでした。

そして今日は、顎の状態などが歪んでいるとのことで、初めて顔に鍼を刺しました。
刺さっている間、表情を大きく変えると痛そうなので、口を半開きにしたトロンとした間抜けな表情をキープしました。
その状態でも、会話は普通に出来ます。

治療終了後、身体の歪みは嘘の様に解消され、昼間の自分の身体とはまるで違う身体になっていました。
やはり鍼灸の即効性恐るべし。
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先日の山梨公演のとき、車を運転出来る様になってくれと言われました。
確かに、本来なら現場に残って指示を出すべき人が、車の運転を出来る人がいないがために、現場を離れなければならない場面が何度かありました。
酒井は18歳のときに運転免許を取りましたが、免許取得後に数回運転しただけで、10年以上ペーパードライバーですが、やはりいつまでもペーパーであるわけにはいきません。
先日から自動車教習所にて、ペーパードライバー向けの自由練習のコースに通っています。
どうせなら、教習が終わった後、隣に父親に乗ってもらい、自分の家の車で練習出来た方が良いと思い、実家の高崎にある教習所に通い、今日で3回目です。
実は、東京の教習所に通うより、電車賃を差し引いても高崎の教習所の方が安上がりだったりします。

10年以上ブランクがあっても、アクセルとブレーキを踏む感覚はほとんど忘れていませんでした。
しかしハンドルさばきはなかなか上手くいかないものです。

教習所内で2時限、路上で3時限の講習を受けて、普通に事故なく運転出来る様にはなったと思うので、今日で終了します。

しかし、車庫入れの感覚がほとんど分からないので、自分の家の車で車庫入れ特訓をせねば…
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